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婚活中の人が「運命の出会い」にできるかどうかは自分次第

  • 執筆者の写真: あかね屋
    あかね屋
  • 2019年7月5日
  • 読了時間: 3分




“今のあなたは、

『あなたが選んだ相手から選ばれるあなた』に

なっているでしょうか?”


前回のメルマガでの問いかけに、


「言われてみれば当たり前のことだけど、

そんなこと今まで一度も考えたことなかったです」


「正直言って衝撃でした」


「橋本さん、私は大丈夫でしょうか?」


など、数名の方々からコメントが返ってきました。


あかね屋の会員さんに関わらず、婚活中の方々の多くは、

運命の人と出会うことに関心が集中しています。


しかし、その運命の人に出会った際、

それを本当の意味での「運命の出会い」にできる自分であるかと、

ご自身を省みている人はどちらかというと少数派です。


でも、前回のような、不意打ち的な問いかけに、

疑問や危機意識を素直に持てる人は大丈夫。


今までの自分の考えや行動を修正すれば、

多少の時間はかかったとしても、

目の前に起こる現実は必ず良くなっていきます。


いっぽう、自らを『自分が選んだ人から選ばれる人』かどうか?


などという自省なんて、

たぶん一生しないだろうなという人が男女共にいます。


その人たち共通する特徴は人を尊敬できないというか、

特に異性に対する敬いの念がないことです。


それが顕著に表れるのはその人たちの日ごろの言動。


常に上から目線的なものの言い方、表現しかできない。


男女とも詳しい説明をすると長くなるので、

そのような傾向が強い女性に絞って言うと彼女らの口癖は

“あり得な~い!”です。


「あなた、そんなことも知らないんですか?あり得な~い」


「え~この人、年収●●●万円って私より少ないじゃないですか、

あり得な~い」


「あかね屋さんの男性会員ってこんな人しかいないでんすか?

あり得な~い」


偏差値が高いとされる大学をご卒業され、

キャリアウーマンとして有名企業でご活躍されている。


というような立派な方の発言としては、

やや“らしからぬ”というか、強い違和感を覚えてしまいます。


たしかに小さい頃からお勉強はできたのでしょうが、

このような方々は「対人知性」が育っていない。


自分の言動によって、目の前にいる人がどんな気分になっているか?


その想像ができない。


いつもどこか人に対して批判的で、

自分の感情をコントロールすることをまったくしない。


会社ではさぞかし重宝されているのでしょうが、

社会から一歩離れ、一個人に戻った時に大人のふるまいができない。


あくまで私見ですが、このような人たちから感じるのは、

ある種の強いコンプレックスです。


これまでの人生の成功体験というか、

自分への誉れが「お勉強ができた」ことしかない。


男性から「好きだ」と告白されたこともなければ、

何でも相談できる親友もいない。


その孤独さを、何かでかき消さないと耐えられないのでしょうか?


それが時に、他者を不愉快にさせる言動や態度で表れるのです。


しかし、縁というのは不思議なもので、

このような人にやって来ないかというと、そうでも無いのです。


ただしそれは「試練」としての意味でやって来るのです。


つまり、こういうこと。


たとえば学校でも会社でも、

自分の学力や能力以上のところにたまたま合格してしまったとしたら、

その後の日常はどうのようなことになるか?想像してみてください。


その学校または会社独自のレベルについていくのは、

相当困難なことですし、よほどの努力をもって、

自分を変えていかなければ挫折します。


人が人として、「成長するための過程」の一つとして、

結婚生活があるとするなら、

本来、結婚生活を維持できるだけの能力(経済力を除く)が

足りていないにも関わらず、縁がやって来てしまうことは、

それをもって本人を学ばせようとする


「神様のおはからい」なのかもしれません。


しかし、そんな「逆説的なおはからい」など、

多くの方にとってはノーサンキューのはず。


でうから、あえて試練として縁など起こらないよう、

時々は意識してみられることをお勧めします。


「今の自分は、

自分が選んだ相手から選ばれる自分になっているか?」と。

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