「うちは主人が●●大の出身でございますでしょ、
それに、私も一応は●●女子大を出ていますので、
まぁこう言っては何ですが、お相手のご両親もそれなりの方でないとね・・・」
「それなりの方でないと、というのは?」
「やっぱりそれなりのレベルの方でないと
お話も合わないでしょう…ほっほっ(笑)」
お話が合わないね。そうですか…。
まぁ、そうおっしゃるのも、分からなくもないですし、
私なりにも充分に心得てはおきますが…。
昔は恋愛で結婚することのほうが断然少数派。
(昔というと、今から50年くらい前までのことですが)
結婚そのもの目的の中には、
家同士が結び付くためという要素が強くあったので、
親からの「許嫁(いいなずけ)」だとか、本人たちの意思など関係なく、
好きでもない相手と結婚させられることがほとんどでした。
私の母も父と初めて会ったのは祝言(しゅうげん)当日。
(祝言とは今で言う披露宴のこと)
「あんた誰ね?」の一言が、父が母にかけた
最初の言葉だったそうです。
このように戦前までは、
「自由な結婚」など、ほとんどなかったのです。
戦前というと大昔のように聞こえますが、
75年前くらいのものです。
歴史の長さで測れば、そんなに過去のことでもない。
それまでの圧倒的に長い期間、「結婚は不自由なもの」というのが、
共通の認識だったのですから、それを考えると不思議な気がします。
でも、結婚は自由ではなかったからこそ、
つまり当人以外の親、親戚や親類といった
他者の根回しや段取りによって成されるものであったからこそ、
多くの男女が夫婦になれたのでしょう。
今は「自由に結婚していい」という世の中であるがゆえに、
かえって結婚することが難しくなったと言われていますが、
それは本当に皮肉なことです。
それはそうとして…話を戻します。
「それなりのレベルのお相手でないと話が合わない」と、
あからさまに言われると、私個人としては、
何か、げせない気持ちになります。
もちろん、世間的に評価される学歴、経歴を備えておられるというのは、
ご本人がそれだけ努力を重ねてこられたことの結果ですから、
それ自体、立派であることに間違いはありません。
ただこのようにおっしゃる方というのは、たぶん、「学歴がある」ということに
相当な比重をおいた考えというか、それのみを大きな支えとして、
人生を送ってこられたのでしょう。
私も仕事柄、社会的にステイタスが高いとされる職業に就かれている
会員さんご本人や親御さまに接することが多くあります。
そのような経験をとおして、つくづく感じるのは、
偏差値の高い学校の出身者が、必ずしも、
高い教養を備えているとは限らないということです。
教養とは、自分以外のどんな立場にあろう人とも、
上からでもなく下からでもなく、相手を尊重しながら、
良い人間関係を作るために使われる知性のことだと思うのです。
ですから、(これも仕事をとおして学んだことですが)
本当に教養のある人は、そんなことは決して口にしません。
そのように考えると、このお母様の望みが叶い、
相応の経歴でしかも本物の教養を備えたお家とご親戚になることは、
果たしてそれが当のお母様にとっては都合が良いことなのかは疑問です。
それにしても、親の見栄や俗物的な価値観によって、
当人たちの結婚が左右されたり、それが高じて
人生が狂わされている様を見ると、何とも言えない
虚しい気持ちになることがあります。
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